あの場所に呼ばれている気がする。 幾度となくあの方は私をそこへ誘う。 人はそれぞれ起点とする場所があるはずだ。 正月に初詣、盆に墓参りをするように。 私にとってその場所は、奈良県桜井市である。 この地はとても神聖な雰囲気で、良いも悪いも私に何らかの教えを下さる。 何かにつまづいた時、決まって呼んで下さる。 そのように思い、今日は桜井に行く。
花の御寺としても人気のスポットである長谷寺。 春は桜、夏は青葉、秋は紅葉、冬は雪化粧。 四季を通し、色んな姿で人々を魅了する。 それは今に始まらず、昔も同じであっただろう。 長谷寺の歴史は、朱鳥(あかみどり)元年、六八六年、道明上人が天武天皇の為に『銅板法華説相図』を初瀬山西の岡に安置した事に始まる。 その後も数々の歴史に名高い人物が信仰した事により、現在に至っても立派な寺院として知られている。 このような山奥に今日もたくさんの人々が吸い込まれていく‥。 長谷寺は駅から20分ほど歩かなければならない。 道中、古びた温泉街を越えていく。 歩かせる事で、人々の邪な気を洗い流しているのか。 つるりとした新鮮な気持ちで、私は門をくぐった。
人界から離れたその地では、3000株以上の紫陽花が私を迎え入れてくれた。 雨に濡れた紫陽花は、尚美しい。 自然の光でライトアップされた石畳の登廊が本堂まで伸びている‥。 この先に進めば、何らかの答えが見出せるのだろうか。 この地に呼ばれた意味を探しに行こう。
本堂周辺は広く開けており、初瀬周辺の山々をぐるりと見渡す事ができた。 六月も末という事もあり、草木が青々と茂っている。 長谷寺の本堂は、江戸時代1650年に徳川家光公の寄進によって建立され、珍しい造りの大建造物という事で国宝に指定されている。 先へ進むほど傾いているので、こぼれ落ちそうな絶景が目の前に広がっているように見える。
奈良の寺院は、商売っ気がほとんど無く、ただひたすら山、仏像、木造物、そして線香の香りがする。 頭の中を空っぽにして、自分と向き合える良い空間だ。 巨大な十一面観世音菩薩を見上げ、手を合わした。 静寂。 時々響き渡るボーンと言う鐘の音。 ここでは人間達は、皆無口である。 「焦らず。ゆっくりと。」と言われているようだ。 人間、自分の行いに一点の迷いもない者などいるのだろうか。 皆自分のしている事を肯定して欲しいと、寺や神社に赴いているのか。 一種の罪滅ぼしのように利用している。 私もその一人なのであろうか‥。 パシャパシャと、紫陽花の写真を撮る人の群れを掻き分けながら私は下山した。 空には分厚い雲がかかっている。 私の心中を表しているかのようだ。 ジメっとした気持ちで、次なる地へ向かう。 つづく。